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痛み分けの概念
- 2008/07/24(木) 11:18:14
こちらの記事を、昨日頂いたガチャさんからのコメントのお返事に代えさせて頂きます。
その理由は、この記事に書かれている事すべてをガチャさんへのコメントとして「振る」のは、ガチャさんに対して非常に恐縮であるといった気持ち(引け目)からです。
ご了承下さい。
(赤字は時間を置いて読み返して感じた事です)
私は我が子の「沈黙」をノンバーバル(非言語性)を用いた「表現」と受け止め、彼が言語化してない「自分に非はない」といった当事者意識の薄さをキャッチして反応したのだと思います。パンくずどうでもよし。まさに言いがかり?
仰るように、今回の逆鱗に触れた要因というのは私側の事情ともいえるでしょう(てか、それっきゃないだろ!の声が聞こえてきそうです)
が
その事情は、私側から見た真実でもあります。
確かに事実に絞り込むと「パンくずをこぼした我が子」「それに反応した私」の二点でしょうね。
だけど当時の私には自分の認識の歪みに自覚がなかった訳ですからトラブったのは不可抗力でしょう、私に非はありません。と申し上げたら、どのように思われますか?
こいつ往生際が悪いなと思われませんか?
そういう事なんです(どういう?)
今回の事で、医師の言うところの「自我がない」って、こういう事やと思いました(だから、どういう?)
つまり自我がないから相手の出方で動くんですよね。そして最後はトラブると。
相手の出方で動く姿勢が功を奏する間は駆け引き上手の称号を付与され社交界を縫うように泳ぎまわれても、所詮実体のない蜉蝣。己は黙して持ち札を見せず人の腹ばかりを探る人種は結局淘汰されます(自分の事です)
私は5歳の我が子に、少なくとも今はまだそんな生き方を覚えて欲しくない。「沈黙は雄弁」なんて知恵は年齢不相応で小ざかしいと感じます。5歳で5歳の感情が出せなくて5歳を生きてる価値がどこに?
己の感情を沈黙で表現するような賢しさをまとう前に5歳なりの表現(大人の事情にかまわずワーと泣く。同じくワーと叫ぶ)の会得が先やろうと。
(母さんの顔色はいいから)ちっとは自分の頭でものを考えてくれよと。
要は子どもの欠点(自我がない)を通して自分の欠点(自我がない)が明瞭化するので、しんどくなるから。見ていたくないから辛抱できない、だから表面化する事で昇華してしまいたい。払拭したい。前に進みたい。大人気ないだけかもしれませんけど。
結局、自分が人生から与えられた課題を乗り越えてないから、同じように未熟な人と絡むと反応しちゃうんでしょうね。
我が子に対して。また同じように未熟な人に対して。私は失敗しちゃったけど、アンタはこれからやねんから頼むで。って気持ちかな。あー。これも結局押し付けか。
どうやら私は物事を点と点で独立して捉える事が難しいみたいです。ひとつ黒を見つけると、その後グレーが見つかってもその濃淡に関わらず全部黒寄りに捉えちゃう。分化する事で安心するところがあるみたい。白?白はハナから見えてない(え?)
このような先入観は持つ方に非があるみたいな捉え方をされる事が多いと感じるんですけど、だったらどうして「未必の故意」の概念があるんだろう?やっぱ「自覚がないから許される」は甘いんじゃないの?少なくともフェアじゃないと。なんかフェアにこだわりがあるみたいです。
でも・・・仰るように五歳児には共感はおろか、理解しにくいかもしれませんね。主人?理解しないでもないけど「見ザル 聞カザル 言ワザル」なんでしょうね。仰るように付き合ってらんないし、知ったこっちゃないと。
このような疑念は普通は抱かないものなのでしょうか。また抱いたとして、皆さんはどのように払拭されてるのでしょうか?
ってか、フェアってなんやー!
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この記事に対するコメント
普通の五歳児はちゃんと怖い人の顔色伺うよ。嘘もつくし虚栄心も強い。残酷だし気まぐれだし。それはそういうもんだよ。
怖い人に萎縮して誤魔化したりするのはボケ老人にもあって、ボケ老人には多分向き合うべき自分なんてなくなっちゃってるけど、そういう感覚は残ってるんだと思うよ。かえるさんはこのことに対する認識があべこべ。
あと五歳児らしくわんわん泣いて欲しかったとか書いてるけど、泣いたらあんたは赤ちゃんですかって言うんでしょ。でもまあ、これはかえるさんに限ったことじゃなくて、親なんて子供に対して都合いいこと言うんだけど、普通親自身がそのことをあんまり気にしてないから、やりすぎたなと思ったら頭撫でたり抱きしめたりして、ごめんねなんて言ってまた繰り返すんだよ。でもそのラフさが小さい子供にはいいのかもよ。そういったことが親に対する不信感を与えるのは普通思春期前くらいからじゃないの。
言いたいこと言えって怒鳴ったら言いたいこと言えなくなるのは大人でもそうなんだから子供なんてもっと駄目だよ。言いたいことを臆することなく言える人間になってほしかったら言える環境をつくらにゃどうにもならんよ。迂闊になんか言ったら何日も訳分からんことでなじられるんだから俺でも言わなくなるよ。ママをどうやってやり過ごそうかってのが一番になっちゃうんじゃないかな。
ガチャさんへ
>かえるさんはこのことに対する認識があべこべ。
えっと「経験のない」五歳児に対して「経験がもたらした感覚」を要求してるのが今の私。それはムチャだろ。と捉えればいいですか?
>あと五歳児らしくわんわん泣いて欲しかったとか書いてるけど、泣いたらあんたは赤ちゃんですかって言うんでしょ。
ですね(笑)でも「わんわん泣いた子の涙の重み」に圧倒されて我に返る事はあるかもしれません。それこそ確率の低い一縷の望みでしょうけど。
>でもそのラフさが小さい子供にはいいのかもよ。そういったことが親に対する不信感を与えるのは普通思春期前くらいからじゃないの。
これはもう仰る通りかなと。ただ私自身、ラフに扱われた記憶がない気がするので、このような有事の際に原点に返れないのが痛いです。
>言いたいこと言えって怒鳴ったら言いたいこと言えなくなるのは大人でもそうなんだから子供なんてもっと駄目だよ。
うーん・・・大人の方が色々しがらみがあって難しいんじゃないでしょうか。子どもは背負ってるものが軽い分「王様の裸」を指摘できると思うのですが。
>言いたいことを臆することなく言える人間になってほしかったら言える環境をつくらにゃどうにもならんよ。
童話「北風と太陽」における太陽のロジックですね。喉から手が出るくらい欲しい奥義ですが、北風育ちの私が思いつくのは破門覚悟の道場破りが関の山です。
>迂闊になんか言ったら何日も訳分からんことでなじられるんだから俺でも言わなくなるよ。
「訳わからんこと」を超える関わりが欲しいのです(歪みの予感><)
>ママをどうやってやり過ごそうかってのが一番になっちゃうんじゃないかな。
かえる二世ですね。こりゃまずいです。でも只今これっきゃ手持ちの札がなさそうです。
深く読み込まず、即答に近い状態で感じた事を書かせて頂きました。失礼があったらごめんなさい。