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30分限りの支配者
- 2007/11/30(金) 10:50:18
水曜日はカウンセリングでした。
「最近はいかがですか?」のカウンセラーのいつもの言葉に「えっと、この間はどんなお話でしたっけ?」と逆聞きするのが、最近の私の第一声だ。
カウンセラーがカルテをめくり「・・・で・・・だった、という事までお聞きしました」といった言葉を受けて、「そうそう・・・実はあれからですね・・」と話をする事が続いている。
カウンセリングでも診察でも、その日に聞きたい事、話す事をあらかじめメモ書きというのはしなくなった。
聞いてみたい事、確認してみたい事はあるが、事前の段取りを要するほどカウンセリングで自分をプレゼンする必要性が、果たして自分にあるのかどうかと感じ始めた。
別の場所でする事なのではないかと。
それは私自身に余裕があるという事かもしれないし、自分のこだわりが薄れて現実に適応しつつある証かもしれない。
自分の段取りで診察やカウンセリングを進めていきたいといったこだわり。
医師やカウンセラーであれど、自分の話のジャマはされたくないw
まず自分の話を黙って聞いてくれよ!といった逼迫感は、支配欲にも繋がる。
聞いて、聞いて、聞いて、聞いて・・・・私の話を聞いて!
聞いてくれたら、私の気持ちを理解できるはず!といった驕り。
理解してもらえたら、全てがうまくいく(私がうまくいく、の間違いでは?)
なぜなら私は自分に正直であるし、正直である事は清く正しく美しい(ババーン!)
私の美しさ(ぷ!)を理解出来ないのは、相手だけに問題あり!というのは、あまりに現実離れの自分本位の思考だ。
自分は変わりたくないって事?
まさに どんだけ〜! 状態だよ、そりゃ^^;
正直である事が心から喜ばれる関係というのは、かなり限定される。
これらの行為が許されていて、共依存に傾く事もなくおさまりがついているのは、やはり相手がプロでお金で成り立つ関係だからだと思う。
カウンセリングを始めとする色々な関係性を通じて、相手と一緒にこの場を作っていこうといった譲歩の気持ちが、私に出て来たのかもしれない。
自分で編集したテープをひたすら再生しているよりも、先の読めないライブの方がワクワクするようになって来たのかもしれない。
ま、「あえて」などと考えている間は充分意識している訳だから、結局は別の形で捉われているのだろうけどねw
依存症というのは、無償の愛情だけでは共依存になってしまうのかも。
私はプロのカウンセラーの時間を購入して、その間の彼女の不自由さに対して代価を払う契約を交わしているのだ、と考えればいい。
カウンセリングに対しても、その他の対人関係に対しても冷めた気持ちでいる訳ではない。
ただ、普段通りの日々を積み重ねるだけ。
心躍る日も、退屈な日もあくまで通過点。
時間だけは、恵みある日も、恵みなき日も平等に過ぎ去ってしまう。
進める事も、戻す事も出来ない。
ある程度なら、自分の頭の中でなら止められるけどずっとではないし、現実とかけ離れて来るのが自分で実感出来ると、ただ痛々しく(w)辛いだけ。
「痛々しい」という言葉に対してのこだわりが、新たに生まれてしまったようだw
おそらく私のニーズにしっくり来たのだろうな^^;へっへっへっw
しばらくは、しがんで有難く賞味させて頂こうと目論んでおります。
痛々しいだなんて、なんだか悲劇のヒロイン 夢見がち40前のデブ 気分だも♪・・・・・・おい!
- 墓標
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