という、ごっこ遊びが私の中でブームです。
私は、Tの本当のお母さんではないという設定ですw


Tには本当のお母さんがいて、私は彼女からTの世話を頼まれているオバチャンだという事ですね。


遊び方は、Tが「お母さ〜ん^^」と寄って来たら「は〜い^^」と受けてからおもむろに「T君、ありがとう。オバチャンの事を本当のお母さんのように慕ってくれて。オバチャン嬉しいよ。オバチャンはT君の本当のお母さんからT君の事を頼まれているんだから、オバチャンの事を本当のお母さんだと思って甘えていいのよ〜」とカマして、Tの反応を見て楽しむといった悪質wな遊びです。


最初のうちは、ちょっと小馬鹿にしていた様子のTでしたが、私が余りに嬉々として話を引っ張るので、不安になってマジ泣き・・・Tの反応が切羽詰っていればいるほど、私は楽しいんですね。


あ〜、自分が生きてるなあ〜と実感しますw


以前に皮膚科の先生から「お母さんとT君が一緒に楽しめる遊びを見つけてみればいかがですか?」といったアドバイスを戴いていたのですが、この「オバチャンごっこ」で、見〜つけた!って感じです。


ただ、Tは楽しくないのかもしれないけど^^;


「楽しい?」と聞いたら「楽しくないわ!!」ってキレているので・・・


でもでも、世の中には「心裏腹」っていう言葉もありますからね。


いやよ、いやよも好きのうちってかw


そのうち好きになるかもしれませんからね。






読まれて嫌悪感を抱かれたら申し訳ございません。


謝らなければいけないような事をわざわざ書くな!と仰るのであれば、言わせて頂きますが、このような黒さって誰しも抱いている負の感情だと私は思います。


手前で抱くのは勝手だが、わざわざ表面化するな!と仰る方も、自覚が無いだけで違った形で滲み出ておられるかと思われます。


むしろ私の記事を読まれて、どうしてご自分が嫌悪感を抱かれたのかといった、ご自分の感情に向き合われた方がより建設的だと思われます。


叩き潰したいのは・・・本当に私でよろしいのでしょうか?


それともご自分でしょうか?





私は小学生の頃に「私の本当のお母さんは今のお母さんじゃなくて、どこかにいて、きっと私を見ててくれている」と、親戚のオバチャン(母の姉)に言っていた事を思い出しました。


どうして直接母に言わずに、母の姉に言っていたのか?という事を考えてみると、私の言葉を聞いた伯母から私の母に「私がこんな事を言ってたよ?もうちょっと向き合ってあげたらどう?」などといったご注進があればいいのにな〜と、当時の私は思っていたからでしょうね。


自分の本心を見せる事なく、つまり自分の手を汚す事なく他人を自分の思うように動かす事が出来たなら、今の自分を取り巻く平凡な世界はきっと眩しくかけがえの無い世界に変わるのだろうと強く強く願った「他力本願」な私の原点を象徴する出来事だったのだと思います。


もっと自分を見て欲しかった、自分に付き合って欲しかった、自分に心を配って欲しかった・・・


要は淋しかったのでしょうね。




「お母さんの事を嫌いになれたらいいんだけど、嫌いになれないから、あきらめ切れなくて困っている」



当時の母に、私が直接言えた言葉はこれが精一杯でした。



「アンタ、何言ってるの?」と一笑にふされてお終いでした。



「アンタは、時々訳のわからん事を言うなあ〜」と首を傾げられました。



何をどう伝えても、自分の本心が伝わる事は無い、といったあきらめを学びました。



私が生きていく上での色々な問題点と直面する事を避けたり、逃避がそう悪い事だと思えないのは、自分の過去を否定したくないからなんだと思います。


嫌い、嫌いは好きなんですよね^^;


そう考えると、自分がやって来た事も、やっている事も無駄な事など何〜も無いような気がします。


時期が来たら、誰しも収まるところに収まるんですよ。


労力少なく、少しでもいいところに行きたいと願うから苦しむんでしょうね。


いいお母さん、よき理解者になろうとかね・・・・・・・それは私w
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