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痛々しい私?
- 2007/11/14(水) 16:47:06
今朝、登園後にH先生と昨日の保育参観の話をしました。
帰宅後Tが、保育参観のリズムで歌っていた「お芋の歌」をひとり熱唱していた事。
「今歌うのなら、保育参観の時に歌って欲しかった」と主人がTに言った事(主人も保育参観に行きました)
すっと歌を止めてその場に固まるT。
「ま、でもI先生の言うようにクラスの皆と同じ空間に入れるようになった事はよかったんじゃないの?」と私が主人とTを交互に見ると
「そういうもんなんかな」と主人。
「そうよ、そうよ^^」と私。
「・・それじゃダメなんだよな」とボソリとTが呟いた。
え?とTの方を振り返ると、Tはじいっと床の一点を見つめている。
おいおいおい、思春期ドラマみたいじゃ〜んw
T君、自我の目覚めとか?
やだ〜んw 早過ぎ〜^^;
ウケケケケ・・と、その時の様子を露悪的に話している私を遮るH先生。
「ママも同じやんか」
「え?」
「バザーの時のママ、痛々しくて近づけなかったんよ」
「どういう事?」
「明るい顔して強い言葉並べてても、その場に立ってるのがやっとって事よ」
「・・・・・」
「一生懸命、自分の感情を抑えて自分のやるべき役割を演じている、傍から見ていたママはそんなだったよ。今の自分が嫌で、自分で自分を追い込んで、自分に挑戦しているようなママを役員達はずっと傍で見ていたから・・未熟な自分の事をママが一番責めてるのがわかるから・・だから会計が遅れてても、誰もママの事を責めなかったんじゃないの?」
「・・・・・・」
「むしろ、ようやってくれはったなあ〜って思ってるんじゃないの?」
「そう・・だといいけどね、そう・・かもしれないね・・」
言葉がうまく出て来ない。自分を作れない。こういうのって困る。早く体勢を立て直さないと・・・・・
立て直さないと?
殺される、私が
おいおいおいおいw
少しは自分の事を誇りに思ってもいいのかな。
H先生の前では、もう自分を作らなくてもいいのかな。
私はずっと、Tが私よりも主人の方になついているような印象があって・・・多分それは、私の思い過ごしでもなんでもなくて・・・事実なんだろうなと実感した。
自分の心に響く言葉を与えてくれた人の事を、人は忘れないのだと思う。
私はTに対してだけでなく、誰に対してもおためごかししか言えない人間なんだ。
心が入っていない言葉しか渡す事が出来ないんだ。
それは、相手に拒否られるのが怖いから。
例えその場限りでも、相手がホッとしてくれる瞬間を目の当たりにするのが、私にとっての「利益」なんだ。
私には、自分を偽っているといった自覚が無い。
本当にTの事や相手の事を思って、その時その時の状況を選んで、かける言葉も選んでいるつもりだ。
だけどTの心にも誰の心にも、私の言葉は相手の心に残さない選択をされてしまうのだ。
先回りされた、手心を加えられた、封じられた・・・私に余計な事をされたといった悪印象しか相手に残さないのだ。
私と築いた関係は、忘れてしまいたい、忌まわしい記録としてしか相手の心には残らない。
今の私がH先生に対して感じているような、思い返すだけで胸がじんわり温まるような記憶といった甘美な過去では決してない。
だけど、それはなるべくしてなった事なのかもしれない。
誰だって、自分の手元に無いものは渡せない。
理想と現実が違うように、私には私の役割があるのだろう。
痛々しい、息苦しい人間なりの叫び、生き方があるのだろう。
だから悲観する事は無いのだろう。
ガンバレ!自分w
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この記事に対するコメント
上手く言えないけど、頑張って。
私も何にも言うことはできないけど。
colorfulさんへ
ありがとう^^