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偏りと落ち度
- 2007/10/31(水) 18:10:00
今日は私のカウンセリング。
〜基本的に自分とTの事について書いているけど、同じような気持ちを抱えている人にとってはしんどい気持ちを誘発する可能性があるかも。ご注意下さい〜
〜フラバ注意です〜
・・ちょっと・・かなり心待ちだったw
まずは先日のプレイセラピーの事を話す。
誰かが、特に自分の子どもが追い詰められている場面に立ち会った時、いったいどのような表情で見守ればいいのだろうかという迷い。
親として、一人の人間として、このような時はどのような態度で臨めばTの気持ちに響くのだろうか。
自分が前面に立って外敵(先生ゴメン)から守ってあげるべきなのか、自分は一歩下がって、敗れて戻って来た時の基地となり慈しんであげればいいのか。
それらは果たしてバランスよく両立できるものなのか。
私がTと先生の触媒のような立場に収まる事は、主役であるTやセラピストの先生を差し置いての「いいとこ取り」にならないだろうか?という懸念。
自分の分をわきまえていないのではないか?という畏れが先立って萎縮してしまう事。
続いて先日のH先生との話
私が先生に対して苛立ったのは、おそらく(Tの)服の反転だけではないのだと思う、といったH先生からの指摘があった事。
私はTへの対応に自信がないから、出すべき所で出すべき自分の感情を出せていないのではないか。
その事がよりちぐはぐな親子関係、ひいてはTが社会(園)生活を営む上での偏りの起因となり、その偏りを私は表面的にしか捉える事が出来ず、最終的にTの気持ちに響かない対応に成り下がってしまっているのではないか。
そうなると自分でも手ごたえが感じられず虚しい気持ちになり、やる気を損ない投げやりになり、最終的に「これらはこの子の障害だから」の葵の印籠で事を片してしまっているように思えるとの指摘。
H先生の指摘に対して私が思った事は、私自身が自分の偏りの自覚が乏しく、Tに対しても、誰に対しても適切ではない、不適切な対応をしてしまっているのではないか?
どちらかというと自分の対応は適切だと自分で評価を下しているだけに、その落差が露呈した時のショックは大きく、適切な場で適切な対応を行い自分の感情を出せていない歪みが、不適切な場で不適切な対応となって更なる問題へと発展している可能性は充分にあるだろう。
例えば昨年時の役員選のような。2・3・その後
あの時は「ああするより他の選択肢は無い」と追い詰められた感に占拠され、彼女達の対応が全て自分に対しての棘のように感じられて、彼女達が私をクラス社会といった公式の場から抹殺しようとするならば自決の道を選ぶしかない、綺麗に散りたいといった偏った思い込みに取り付かれていたのだけど・・
今振り返ると、一部の保護者とは私が上記のようにも受け取れるような関わりがあったけど、クラスの保護者全てがそうではなかった訳だから、もう少しやりようがあったのかもしれないな、と思える事。
例えば率直に入園理由を話して「役員活動を始めとして皆と関わりを持ちたいけど、自分は関わり方がよくわからないんです」と申し出て、相手に下駄を預けてしまう選択もあった訳だ。
当時の私の美意識(w)には反するだろうし、困惑はされるだろうが、少なくとも何らかの手は差し伸べられるだろう。
私が(その手を)気に入るか、気に入らないかの確証はないけどね^^;
要は、クラス集団・仲間として今後の足並みを揃えていく姿勢があるか無いかを表明する事で、相手に与える印象とその後の対応は全然違うのだと思う。
そういう意味では、当時の私にはそのような気持ちは無かったな、うんw
気持ちが、というよりも発想自体が無かった〜><
だって個人的な事だし〜、自分の都合だし〜、迷惑だろうし〜、
確かに、私の入園理由や関わりベタは私の問題である。
だけど、私の問題だから私一人で解決しなければならない、といった事でも無いのだと思う。
要はあらゆる角度からのアプローチ、客観的な解決のスキルを知らなさ過ぎるから、却ってギクシャクしているだけの事で、それは私自身の「偏り」であり、誤解を恐れずに表記すると、私の「落ち度」なのだと思う。
Tのように自分で環境を選べない立場に置かれている人間について「落ち度」と表記する事は抵抗があるが、私のようにある程度の自由を与えられている立場の人間が「偏り」などと済ませてしまっていいものではないのだろう。
確かにTのような不自由は過去の私にはあったが、今はそうではないのだから。
最初に自分に色眼鏡をかけたのは自分以外の存在、親や環境かもしれないけど、未だ色眼鏡を外す勇気が持てないのはまぎれもない38歳の自分だもの。
既に4歳の子でも親から付与された矛盾を「偏り」ではなく「落ち度」として受理され跳ね返されているのが現実であり、私達が今後生きていく社会なんだもんな〜><。
親として、一人の人間として自分の人生にどのように折り合いをつけたものか。
ううう〜。
キビチイな〜、もう〜><。
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