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私に欠けているもの
- 2007/10/27(土) 09:51:08
昨日の運営委員会は疲れた。
〜フラバ注意です〜
自分の圧倒的な経験不足を感じた。
その経験というのは、単にPTA活動そのものに慣れていないからというよりも、どうやら自分が今まで培って来た物事に対する取り組み方そのものに起因しているように思う。
例えば、何かトラブルが発生した場合、自分の感情をセーブしつつ、周囲の状況をうかがいつつ、最後まで粘り強く取り組んで投げ出さないという事が、私は非常に困難なのだ。
また、自分の限界を感じた時、必要以上に落ち込んでしまってSOSのタイミングが図れずに、最終的に「かまってちゃん」のお荷物になってしまう傾向がある。
自分の限界を、自分で発覚するより先に相手に指摘された場合、「どうせ私は」思考に陥って真っ白のフリーズ状態になってしまうか、反対に逆ギレで周囲を威圧してその場を切り抜けようとする。
このような時の自分は「なりふり構わず」といった感じで、とても冷静に問題点の焦点を見極める事は困難だ。
つまり、自分の限界を自分で把握出来ていないのだろう。
自分の限界を自分で把握出来ていないから、相手の自分への欲求を汲み取る事が困難で、自分の限界を相手の意思表示で計ろうとするのだ、私は。
その結果、相手が自分に全てを押し付けているような気がして息苦しさを感じてしまったり、相手の期待に応えなければと自分の限界以上にガンバッてしまって結果、テンパッて自爆。ゲームオーバー^^;
その結果、「夢見がちでかんしゃく持ちな自分」といった最も自分が嫌悪する自分に成り下がって、そのポジションへと自ら落ち着いてしまうのだ。
偏った万能感。
偏った自己イメージ。
ひとりよがり。
自分を否定している時だけが、自分で自分が納得出来る、達成感を感じているって、ちょっと偏っている。
そうかといって、心の底から自分を否定しているかといえば、そうではないのだ。
こんな自分でもいいよ、と言って欲しがっている。
相手からの無限の愛情を求めている。
ははは^^;
自分で自分を立て直す時って、過去に誰かに自分を立て直してもらったり、自分が立て直している時に励ましてもらったりといった、自分の事なんだけれど自分以外の誰かとの関わりのスタンスが問われる気がする。
例えば、スポーツの試合でメンバーの誰が欠けても今の自分達は存在しなかったといった仲間意識、文化祭で仲間一丸となって催事に取り組んでお互いの役割を尊重し、栄誉を称え合うといったような達成感。
もっと遡ると、家族間においてどのような状態の自分であっても受け入れてもらったという実感。それだけでは満足できず、自分を試し始めて挫折を経験した時の対応。お互いの対話の試行錯誤。
そのような経験が私の場合ベテランママさんと比較して不足しているように思う。
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この記事に対するコメント
読んで「あぁ私と似てるな」って思ってしまいました。
私も外では滅多に爆発しないと思ってたんだけど、実は訓練最終日、学校に対して爆発してちょっとした騒ぎにしてしまって。ブログには書かなかったんだけど。
もし一緒と言われて迷惑だったらごめんなさい。
でも、客観的に文章で見ている限りですが、かえるさんが一生懸命やってるのは誰が見てもわかってることじゃないのかなって。
それから、過去に出来てたのに、出来なくなったっていうのがあるのじゃないかなと思ったのですが、勘違いだったらごめんなさい。
なんでそう見えるかというと、やっぱり自分がそうだからなのかな、と思いますが、もしそうだとしたら、そういう悔しさや歯がゆさって、わかってもらえることってすごく少ないような気がします。私はそう感じてるから。
立ち直るためにどんなに努力をしてるつもりでも、周りにとっては簡単に偏見に置き換えることが出来るんじゃないかっていう怒りを感じるし、人は思ってたよりもっと冷たいんだと何度感じたかわからないです。
でも、結局は自分って変な生き方してきたんだなぁって思って、知らなくていいことばっかりしってしまった気がして、ものすごくツライですが。
自分の話になっちゃいましたが、今かえるさんすごく大変なもの抱えてるんだなと読んでて思うのだけど、それでも頑張ってるって事、まわりはわかってくれてるんじゃないかなって思いました。そうだといいな、とも。
まとはずれだったらごめんなさい。
また、迷惑なコメントなら、削除してもらうか、よかったら遠慮なく言って欲しいです。