目的を認識する事

  • 2007/08/23(木) 12:16:43

昨日の停電が終わってからネットサーフインをしていたら興味深いブログを見つけました。

上記にリンクした記事については、一つ一つ頷きながら引き込まれるように読んでしまいました(携帯からではアクセスできない事があるかもしれません。その時はコメントの追記でご確認下さい)

こちらのブログの森の声さんいわく、「私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください」との事ですので遠慮なく^^;(こちらは携帯からでもアクセス可能のはずです。こちらの日記から遡って2007年8月20日の記事「目的を認識する」に飛んで頂いても結構です)


〜以下転載〜

日常的な話し合い、討論の場合でも同じです。なんのために話し合うのかということが共有されていないことには話しがまとまるわけがないのです。そうでないと力関係だけで結論が決まってしまいます。

それと、大切なことは共有できる目的の所から議論を始めることです。
例えば、憲法を変えることに賛成するかしないのかという対立したところから議論を始めてはいけないということです。

そうではなく、「子どもや孫たちに平和な社会、豊かな自然を残したいね」というような両者が共有出来る目的の所から、少しずつ話しを進めて“じゃあ、9条をどうしようか”というところにつなげていく必要があるのです。

そうして、話がこじれた時にはもう一度その原点に戻って議論をし直すのです。
その戻ることが出来る原点を共有しているかどうかということが話し合いでは非常に重要なんです。
そうすれば、意味のある話し合いができるのです。



なんだかトライしてみたくなるような気持ちにさせてくれる出会いでした。

この記事に対するコメント

追記です

なぜか携帯から見るとアクセスできない部分があったので転載します。

〜以下 「森へ行こう」
2007.08.20の記事「目的を認識する」より転載〜

私は、議論でもケンカでも討論でも話し合いでも、それらを効果的に行うために必要なことは“目的をしっかりと認識する”ということなのではないかと思っています。

特に、議論、討論、話し合いなどの場ではそれが理解できていないとみなケンカで終わってしまいます。

先日書いた、憲法9条を考えるテレビ討論の場合でも、“なんのための討論か”という討論の目的が共有されていなかったためにただの言い争いになってしまったのです。

あの、テレビ番組の企画の意図はなんだったのでしょうか。
日本の平和を考えるためなのか、世界の平和を考えるためなのか、それとも人類の未来を考えるためなのか、それともただ色々な意見を紹介するためだけのものなのか、それとももっと低レベルの、言い争いのケンカにさせて面白く演出し、視聴率を得るためのものなのか・・・・。
テレビを見る側にもそういう判断は必要でしょうね。

これは、日常的な話し合い、討論の場合でも同じです。なんのために話し合うのかということが共有されていないことには話しがまとまるわけがないのです。そうでないと力関係だけで結論が決まってしまいます。

それと、大切なことは共有できる目的の所から議論を始めることです。
例えば、憲法を変えることに賛成するかしないのかという対立したところから議論を始めてはいけないということです。

そうではなく、「子どもや孫たちに平和な社会、豊かな自然を残したいね」というような両者が共有出来る目的の所から、少しずつ話しを進めて“じゃあ、9条をどうしようか”というところにつなげていく必要があるのです。

そうして、話がこじれた時にはもう一度その原点に戻って議論をし直すのです。
その戻ることが出来る原点を共有しているかどうかということが話し合いでは非常に重要なんです。
そうすれば、意味のある話し合いができるのです。

ただし、私は結論を一つに決めることを想定していません。そうではなく、お互いに相手の意見が尊重できる所まで話しが落ちてくればそれでその議論は成功なんです。


また、目的を持つということに関しては、勉強や仕事でも同じように必要でしょうね。
目的をきちんと認識して勉強や仕事をやっている人の方が、そうでない人よりずっと効率的な活動ができるのは明らかだからです。
そうでないとやる気もでないし、同じ所をグルグル回るだけになってしまいます。

昔、人々が地域や身分や職業で縛られていた時には、言われたことだけを一生懸命にやっていればそれで充分でした。でも、現代はそういう時代ではありません。
人々はもっと自由になったのです。
でも、自由な社会で自由に生きるためには目的をしっかりと認識しながら行動するということが絶対的に不可欠なんです。

ただ、目の前の一本の道路を前に進むだけなら目的を考える必要はありません。でも、私達は今分かれ道がいっぱいある道路を走っているのです。下手をしたら道路自体が消えてしまっている時代かも知れません。それなのに、目的を考えないで走っていては迷子になるし、混乱して事故も起きてしまいます。
“目的”が地図を創り、道路を創るのです。

なんのために算数を学ぶのか、なんのために国語を学ぶのか、なんのために仕事をするのか、なんのためにボランティアをするのか、なんのために生きるのか・・・・。

でも、答えは一つではありません。
人によって様々な目的があっていいのです。
というより、それを親や、学校や、国家が権力で一つに決めてはいけないのです。
一つに決められてしまうと、人はそれを“自分の目的”には出来なくなってしまうからです。
それでは目的がないのと同じになってしまうのです。

目的は自分で見つけるからこそ意味があるのです。
大切なことはそれを自覚しているかどうかということなんです。
それは目を開けて生きているかどうか、ということでもあります。

  • 投稿者: かえる
  • 2007/08/23(木) 12:32:45
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