頑張る事

  • 2007/06/26(火) 21:19:17

長くなりそうなので、こちらで^^;

「頑張って」の言葉が、自分が相手から認められてないように感じて負担になった頃がありました。

「頑張ってたんやけど、どうにもならんかってん」といった挫折感、敗北感。「これ以上どうせえと?」相手への不信感がピークだった頃があった。今思えばその相手からは、いつも自分を否定され続けているように感じていた。共感された事がなかった気がする。「あ〜、そうやね〜、頑張ってるのにね〜」とワンクッション置かれてたら、私の受け取り方は全然違っていたと思う。

自分のもやもやが、決して相手のせいだと言いたい訳ではないのだ。

「人は、かつて自分がされたようにしか行動出来ない」というのが私の実感だ。自分が共感された事がなければ、共感の必要性を感じる事もない。相手に共感が必要な状態と気付く事はないし、そのタイミングも計る事は出来ない。また、自分に共感が必要な状態である事さえも理解出来ないだろう。甘えと甘やかしが違うように、共感=甘やかしでは決してないのだが。

他人に厳しい人は自分にも厳しい。自分のペースで相手のペースを計っているからだ。自分の弱さを認めたくないが故に、相手の弱さをも認められない、常に臨戦状態だ。張り詰める事が突破口への唯一の道ではないと薄々気付いていながらも、自分の勢いを逃がす方法がわからずに突っ走ってしまう、悲劇だ。

ずいぶん偏った文章を連ねたが、私自身そのような傾向が多分にあり、これらの気持ちに折り合いをつけて共生への道を模索しながら歩く事が、自己が生かされている意味だと決め付けている所がある事を記しておく。


そういえば、お友達のブログに素敵な言葉が書いてあったのですよ^^


ガンバレー!

しんどくなったら、
ヤスメー!


やっぱり誰でも自分のペースで歩きたいよね^^

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