知ったかぶりをします^^;

  • 2007/06/24(日) 00:46:40

タイトル通りです^^;

自分がこうありたいというビジョンは誰にでもあり、その事自体は生きていく上で歓迎すべき発奮剤となり得るのは、誰しもが実感する事だと思う。

自分の打つ手がピタリとハマり、空恐ろしくなるほどの幸福を噛みしめるも束の間、手持ちのカードが空を切るようなドローが続き、巻き返しを図るも、一度狂い始めた歯車は流砂の如く手応えがなく、意にそぐわないまま勝負を降りて辛酸を舐める経験も、誰しもあると思う。

己の限界に直面した時に、直視し難い現実に打ちのめされ、ただ闇雲に目前の巡回艇にすがりつく行為は非難される類の罪ではないとも思う。

例えば潜水の王者であっても、息継ぎ無しでは遅かれ早かれ支障を来たすように、永遠に泳ぎ続ける事など実生活においては、プログラムにおける逸脱行為なのだろう。

色々言葉を重ねてみたが、要は「過去を嘆く事なかれ」「今を生きる」といった陳腐な言葉しか浮かばないのだ。

あらゆる事への照準を過去に合わせた場合、どうしても美しく繋ぎ合わせたコラージュのようなひとつの作品として完結されてしまい、「今」「現在」差し出されている恵みの手が入る余地がなくなり過ぎはしないだろうか。単なる老婆心から訪れる類の感情で、杞憂に過ぎればいいのだが。

発達障害の自閉症用語でスペクトラムという言葉がある。ここでのスペクトラムは境界が決定し難い連続した状態を指す。スペクトルは、光をプリズムにかけると波長により虹のように色が分かれる現象を指し、ここでの概念が境界を識別させ分断させる事よりも、境界同士が交じり合う事が重要な着眼点と考えられている事に注目して欲しい。

何層にも分かれて見える、虹の光の色層が互いに交じり合って見えるように、例えば区別の難しい複数の症候群があり、それらが重なり合いながら重度から軽度へと変化し、障害から健常まで連続している、これが自閉症スペクトラムの法則である。

発達障害において軽度と重度を、また健常から障害をも区別する事に意味を見出さない世界があるように、普段マイナスやプラスの座標軸で考えられている世界の物事でも視点を変えてみれば、ある視点ではマイナスだと捉えられる現象が、ある視点からではプラスと判定されたとしても不思議ではないのかもしれない。

少し(かなり)強引な仮説ではあるが、友人・知人へのエールとしてここに記しておきたいと思う。

物理が得意な技術屋さんに付け焼刃の知識で「知ったか」するのは、大変に恥ずかしい行為です^^;

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  • 2007/06/24(日) 06:24:58
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